沿革(歴史)

1.伊藤博(前委員長)が中心になって作った組合です

 トラックの運転手などをしていた、伊藤が国際自動車に入社して、自動的に、国際労働組合に加入しました。伊藤が加入した、国際労働組合が、何もしないので、もっとも真面目と言われていた自交総連に加入しました。
 伊藤は、副委員長までになりましたが、伊藤が、いろいろな提案をするが、やるやると言って、やらないので、なかまと一緒になって全国際自動車労働組合を結成しました。

2.全国際自動車労働組合が首都圏なかまユニオンに加盟しました

 伊藤委員長は、上部団体をもっていないと、会社に組合をつぶされかねないという判断で、加盟する労働組合を探していました。
 当時の書記長の佐藤さんから、首都圏なかまユニオンに加盟したらという提案を受けて、伊藤委員長が、首都圏なかまユニオンの運営委員会(普通の組合でいえば執行委員会)に参加して、首都圏なかまユニオンの実状を調査しました。伊藤委員長は、首都圏なかまユニオンの団交にも参加し、会社を鋭く追及、社前行動にも参加して、争議の支援も行いました。
 また、やくざ企業に、自腹で売り上げ金を払わされていた若者の闘いでは、びくともしないで会社を追い込んで、その争議の勝利にも貢献しました。
 伊藤委員長は、首都圏なかまユニオンの調査から、「1人の争議をみんなで支える、すごい組合」と思い、首都圏なかまユニオンに加盟することになりました。

3.国際自動車で残業代が支払われていないことを確認し、残業代請求裁判を開始しました

 国際自動車の従業員は、多くの人は、残業代は支払われていると思っていました。国際労働組合と会社が結託しての結果だと思いますが、賃金規則では、歩合給から割増金を引くという風にしか書いていません。この割増金がなにか?を、賃金規則の説明を求める団交で質問しました。
 会社は、割増金は、時間外勤務手当、休日出勤手当、深夜勤務手当、交通費であると回答しました。 これで、時間外勤務手当、休日出勤手当、深夜勤務手当、交通費が、支払われていないことが明らかになりました。
 伊藤委員長が、ちゃんと支払えと会社に要求しました。羽田の楠原課長(現在の国際自動車株式会社(T2)の社長)が、裁判でもなんでもやればという事だったので、裁判を開始しました。

4.タクシー会社での残業代不払いの裁判の判例を調査し、弁護士にお願いして裁判を開始しました

 北海道の三和交通で、歩合給から残業代が引かれている事件で、何回も組合が勝訴していることを確認しました。会社の名前と個人の名前と金額を変えれば、勝てるということがわかりました。
 そして、指宿弁護士、谷田弁護士に担当してもらう事になって、裁判を開始しました

5.1次訴訟は時間がかかりましたが、地裁で勝訴、高裁で勝訴。各営業所で残業代請求裁判への参加を呼びかけ、原告約200人の裁判になりました

 1次訴訟は、全労組合員14名での裁判です。残業代請求は2年経過すると請求できなくなります。請求する権利があるうちに裁判を起こさなければ、請求することができなくなります。そこで、1次訴訟の人が起こしたのが、2次訴訟です。
 1次訴訟で、地裁、高裁で勝訴しました。この判決を受けて、国際自動車のすべての営業所に、残業代請求の裁判への参加を訴えてビラまきを行いました。そして、残業代裁判の説明会を行い、板橋営業所、世田谷営業所、新宿営業所、吉祥寺営業所、東雲営業所、台東営業所から、残業代請求の裁判に参加していただける状況を作る事ができました。
 退職者も含めると、約200人の裁判になりました。その裁判が3次訴訟と4次訴訟です

6.2次訴訟敗訴、そして、1次訴訟について最高裁が高裁への差し戻しの判決を出しました

 2次訴訟で敗訴しましたが、その内容は、歩合給は、どういう形で支払わなければならないという規定が、法律には書かれていない。労使で合意したものなので、問題はないという判決でした。残業の支払いを規定している、労働基準法37条は、守られている。歩合給の規定はないから、そこから残業代を引いても問題ないという内容でした。
 こういう判断になったら、能力給の規定はない。労使合意すれば、能力給から残業代を差し引いても問題がないという事になってしまう。明らかな不当判決です。
 最高裁は、高裁に差し戻す判断を行いました。最高裁の判断の内容は、1次訴訟の判決の内容は、民法90条の、公序良徳に反すると、なっていましたが、最高裁は、労基法37条が守られているか否かの判断をしなさいということで、高裁にもう一度判断しなさいというものでした。
 差し戻された、高裁は、再度敗訴の判決が出てしまったので、全労は、最高裁に上告しました

7.最高裁に何回も公正判決を求める要請行動を行いました

 全労は、残業代の支払いを求めて、東京総行動に参加して闘いました。最初は、赤坂見附の国際自動車の本社前で行動を行っていましたが、最高裁への上告していたので、最高裁に公正判決を求める行動で闘いました。
 公正判決を求める署名運動も行いました。東京総行動に参加している労組、東京全労協の組合、そして、北海道で三和交通の裁判を行った弁護団にもお世話になって、北海道の組合から、そして、富山の全国自動車交通労働組合のタクシーの労働組合からも署名が集まりました。
 その署名は、東京総行動での最高裁要請行動の中で、提出しました。

8.最高裁での完全勝訴の判決

 最高裁は、沈黙の2年間でしたが、審理の日程が明らかになり、伊藤委員長が「残業代は支払われていない。ちゃんと支払うべき。」と主張しました。
 そして、3月30日、完全勝利の判決を獲得。

9.高裁進行中に弁護士同士の話し合いで解決

 未払い残業代の支払いは、年利6%も含めて確定でしたが、遅延損害金を、いくらまで支払うかが交渉になりましたが、その半額を支払うことで合意し、解決が確定しました。

10.伊藤委員長の病気

 この残業代請求の裁判は、8年かかりましたが、伊藤委員長はそのうちの5年間、がんと闘っていました。このことが、会社にばれるとまずいということで、秘密の元治療していました。
 伊藤委員長は、最終的な解決を確認して、他界することになりました。

11.残業代請求裁判勝利後の団交

残業代請求裁判で勝訴後、新型コロナへの対応や、職場環境の改善を要求して団体交渉で、労働者の生活を改善するために闘っています。

12.労供の資格を勝ち取りました

 1点だけ、重要な点について、お伝えします。労供問題です。
全労と、労供の契約を会社が行わないのは、不当労働行為であると申し立てました。
しかし、会社は、全労の伊藤委員長が、国際自動車の社員ではないから、企業秘密が守れないからといって、全労と労供の契約を行わないのは、不当労働行為ではないと主張していました。
 こういう状況でも、勝てると思いましたが、この訴えは取り下げ、伊藤委員長が参加しない労供ユニオンを結成し、会社が、労供ユニオンとの労供の契約を行わないことについて、不当労働行為であると訴えました。
 東京都労働委員会で勝利、会社は中央労働委員会に控訴しましたが、全労が勝利。会社は、中央労働委員会を東京地裁に訴えましたが、会社は、この裁判でも負けそうなので、和解して、会社は、全労、労供ユニオンと労供の契約を行いました。
 今、全労は、労供で働ける仕組みをもっています。実際に、定年後今、全労の組合員が労供で働いています。